章子・馨子両内親王関係まとめ。

 

一品宮の御裳着のとまりぬるを口惜しく思しめして、七日、いと苦しくせさせたまひて、「われ今日かくてあるべきものと思ひけんや」と仰せらるるは、御裳奉らましものをなど思しめすなるべし。(『栄花物語』巻32・謌合)

…ということで、腰結役を務めるはずだった父帝の病脳・崩御により果たせなかった章子内親王の幻の裳着場面。

 

八月三十日に中宮行啓あり。蘇芳の濃く薄き匂などに、草の香の御衣など奉る、いとをかしうなまめかしくめでたき御有様なり。月ごろのほどにこよなくおとなびさせたまひにけるを、あはれに見たてまつらせたまふ。(『栄花物語』巻31・殿上の花見)

父長女と対になるように描いた母二女。童斎王でも裳は着用していたはずなので正装はこんなイメージかなと。

 

↓の前日談として描いたもの。馨子ちゃんがどのコマも可愛い(自画自賛)。

 

後冷泉さんごめんなさい。現場からは以上です。

 

七夕に描いた親仁と章子。「逢ふことは…」の歌を詠んだくらいの時期をイメージしてたはずなのですが、後で栄花物語を読み返したら計算間違いをしていた。まあいいや。

 

章子内親王詰め合わせ。個々の場面については色々察して下さい。

 

馨子内親王詰め合わせ。個々の場面については以下略。

 

拙宅の親仁章子馨子はこんな関係性という話。短編小説「気持ちはちぐはぐ」をブログに上げたときに一緒に描いたものなので時系列はそのくらいを想定。

 

歴創版日本史ワンドロお題「中宮」用に描いたものを加筆。1時間で背景は無理だった。

 

馨子の遺骨は菩提樹院の章子のもとに送られたという話を知って描いたもの。

 

黄泉路の再会part2…オチがこんなのでごめん。そして馨子内親王の年齢、計算間違いしていた…。

 

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