彼女の矜持
 

「我が身には余りある仰せなれど、謹んでお受け致しましょう」
 章子は悠然と微笑んで見せた。
 
 院号を賜ることは、無論この上ない栄誉である。
 だがその一方で、身の丈に合わぬ称号であることも事実。
 章子は国母ではない。先々帝の中宮であり、現在の太皇太后ではあるが、当代の帝との関係は薄い。歴代の女院に比べれば、朝廷への影響力など微々たるものだ。
 
 このたびの宣下が、章子を称えるために企図されたものでないことは分かっている。
 これはあくまで、左大臣師実の養女である女御・賢子を立后させる目的で、后位に空きを作るための措置なのだから。
 きっと、先例に照らし合わせて眉をひそめる者もいるだろう。
 しかし、章子は構わなかった。
 父帝は、章子の母をただ一人の后とし、他に女御は迎えなかった。
 夫帝は、その死の間際とはいえ、前代未聞の三后並立を許した。
 章子の今までの人生において、先例にかなった后のあり方など、どれほど馴染みがあろうか。
 そして、思い起こされる出来事はもう一つ。
 
    *    *    *
 
「よって、女御殿立后の暁には、宮様は皇后宮に――」
「必要ありません」
 関白頼通の言葉を穏やかな声で遮断する。
 ぎくり、と頼通の肩が強張ったのが分かった。もしかしたら、女御・寛子の立后そのものを否定されたと早合点したのかも知れない。
 頼通の娘である寛子が入内したのが昨年末のこと。その時点で、彼女がいずれ中宮に冊立されるであろうことは想像できた。
 ――現中宮・章子の皇后転上と引き換えに。
「関白の姫君を皇后とすれば問題ないでしょう」
 続く台詞に、頼通はハッと顔を上げた。章子の言わんとしていることを悟ったらしい。
「――っ、畏れながら、宮」
 眉尻を下げるその表情は、困惑か。それとも、焦燥か。
「中宮も皇后も、その意味するところは全く同じです。強いて、その御位にとどまられることはございますまい」
 詭弁だった。事実、先帝の時代の中宮嫄子と皇后禎子、どちらが重んじられていたか。東宮妃として内裏にいた章子が知らぬはずがない。
「もと中宮であらせられた后は、皇后宮に移られるのが常道にございます。ここは先例に従われるのが――」
「……先例」
 章子の唇から呟きが漏れる。
 ならば、二人目の后であっても、立場の劣る者が皇后になるべきではなくて? ――三条の院の御世のように。そんな返しが脳裏をよぎるが、すぐに打ち消す。
「関白」
 脇息にもたれていた章子は、緩慢な動きで姿勢を正した。開いていた扇をゆっくりと閉じる。そして、御簾の向こうに座す伯父に対し、にっこりと微笑みかけた。
「宜しいではありませんか。わたくしはこのままが良いのです」
 
 結局、章子はそのまま中宮にとどまり、寛子は皇后の座に収まった。
 実を言うと、寛子の入内や立后が章子の危機感を募らせたのかというと、そうでもない。参内もままならなかった禎子の例を知ってはいたが、上東門院彰子を後ろ盾とする自分がそのような状況に陥るとは考えなかったし、仮にそうなったとしても、それはそうと割り切り、後宮を離れて静かな生活を送るという選択もあった。
 父と母を立て続けに亡くし、その喪が明けてようやく迎えた裳着の日。十二歳の章子はその夜、当時東宮であった親仁に入侍した。裳着の腰結役を務め、父親代わりとして付き従ったのは、他でもない頼通だ。それから十年、唯一の妃として添ってきた。親仁即位の二年後には右大臣の娘である歓子が、そしてつい先頃には寛子が入内を果たした。
 帝の一の人、という立場に執着はなかった。親仁への愛着がないわけではないが、新たな妃と帝寵を競う気概があるかと問われれば否である。所生の男皇子でもいれば考えも変わったかも知れないが、あいにく今の章子に守るべきものはなかった。
 彼女が中宮の座にこだわったのは、あくまでも己のためである。
 物分かりの良い后となり、その座を譲ることを、彼女は望まなかった。
 
    *    *    *
 
 あの日から二十余年。親仁は継嗣を残さぬまま崩御し、章子はその翌年落飾した。長く美しい黒髪は切り落とされ、やがて白いものが混じり始めた。太皇太后として静かな日々を送るなかでの、突然の院号宣下。そこまで回想したところで、章子は不意に気づく。
 もしもあのとき、ただ流されるまま后位を移っていれば。女院号を得るのは寛子の役割となっていたはずである。
 自らの発言が、この女人として最高の、それでいて身分不相応な位を賜ることにつながったのだ。
 そして、今の自分にそれを拒む力はない。辞退したところで、帝は決してそれを認めないだろう。
 だから、章子は微笑んで見せる。あの日と同じように。
 その身にそぐわぬとそしられようと、嘲られようと。体よく利用された名ばかりの女院、と同情の目で見られようと。
 気高くあろう。その称号に恥じぬように。
 
 ――太皇太后宮職を停め、宜しく二条院と為すべし。
 その勅を発したのは、時の帝。後の世に白河院と称される青年であった。
 
《終》 あとがき

 

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