双輪 ―フタツノワ―
 
「――ようやく帰ったか」
「巫女様……」
 随分遅くまで外にいたものだな、とも何も訊かない。訊かずとも分かっているからだ。――みかげの頬に痛々しく残る、涙の痕の意味も。
「……明宏のこと、追い出さないで下さったんですね」
 あのままだと、みかげが逃げてしまう可能性もあったのに。彼がみかげと会う前に察知して、制裁を加えることなど、巫女には容易く出来たはずだ。
 ふん、と巫女は笑った。みかげが自分たちの話を盗み聞きしていたことにも、彼女は気付いている。傷付いたのはみかげの方だろうにと、巫女は小さく息をついた。呆れたように彼女はみかげに背を向けた。それに伴って、軽快な鈴の音。
「―― 一つ訊く。何故、あの小僧についていかなかった?」
 ここから出ることは、かねてからのお前の望みだろうと巫女は笑う。父親と対面し、自分への悪意に真正面から触れ、外の世界が怖くなったことも理由の一つだろう。しかし。
 みかげはすぐには答えなかった。黙って巫女に近づき、その腕を背後から巫女の身体に絡ませる。そしてそのまま、彼女を抱きしめた――否、彼女にすがりついた。
 そして、巫女の耳元に囁く。
「――だって、巫女様がお一人になってしまうから」
 その言葉に、巫女は本気で目を見開いた。身体が動いた反動で、また鈴が鳴る。
 みかげは、そのまま巫女の肩に顔をうずめた。しばらくして、途切れ途切れに嗚咽が聞こえてくる。
 ぎゅっと腕に力を入れ、放そうとしないみかげに、巫女は苦笑する。
「――全く、後悔するくらいならばついていけばよかったものを」
 その言葉には、黙って首を振る。後悔なんかしない。でも、もしするとしたら――明宏と、巡り逢ってしまったこと。
「……こんな、思いをするくらい、なら」
 出逢わなければ良かった、と。最後のその台詞は、最早声にならず、のどの奥に消えていった。
 巫女は、あえて肯定も否定もしなかった。それは、将来のみかげが決めることだ。自分が口出しすべきことではない。
 裏切りを恐れ、ついには自らの手で大切なものを壊してしまった少女。不信を憎み、裏切りを憎み、大切だったものを憎悪の対象へと変えた女。
「……巫女様」
「何だ、みかげ」
 少女はしばし躊躇った後、小さな小さな声で尋ねた。
「――巫女様は、ずっと私を傍において下さいますか?」
 心からの問いかけだった。人の心は移ろい易い。そのことを知ってしまった今、巫女の返事を聞くのは勇気が必要だった。祈るようなその声に、巫女は思わず笑った。
「お前は、私の娘だろう?」
 その言葉を耳にし、みかげはようやく柔らかな微笑みを浮かべたのだった。
 

《終》 あとがき

 

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