州羽社由緒記
 
 手当を終え、軽い食事を摂ると、建御名方は再び眠りの淵に落ちていった。というより、懲りずに無理やりにも身体を動かそうとする建御名方に懇願して休んでもらったと言った方が正しい。別に八坂に従う必要などないはずだが、大人しくなったのはやはり体力が追いつかなかったのだろうか。しばらくして灯りを消した室内を覗くと、途切れがちな寝息が聞こえてきた。
「……」
 荒々しい呼吸音に胸が痛む。傷が元で熱でも出ているのだろうか。それとも、悪夢にうなされているのかも知れない。
 そっと扉を閉め、自室に戻ろうと簀子に出る。廊を渡る途中でふと空を見上げた。
 吸い込まれそうな曇天からは相変わらず雨が降り続いている。梅雨も明けて久しいというのに、このような長雨は珍しい。建御名方を発見したときの豪雨ほどではないにしろ、胸騒ぎを覚えてしまう。
 早く止めばいい。そうすれば建御名方のための薬草も採りに行けるし、この陰鬱な気持ちも幾らか晴れるだろう。暑い季節はそれほど得意ではない八坂だったが、このときばかりは日の光が恋しかった。
 
 それから何度目かの昼であった。雲を通した陽光特有のぼんやりとした明かりのもと、八坂は丁寧に針仕事をしていた。
「……比売?」
 物音の直後の呼びかけに振り向くと、壁に上体を預けた建御名方が佇んでいた。
「もう起きても大丈夫なのですか?」
 八坂は手元の道具を置き、早足で彼の元に駆け寄った。寝起きのせいか、少しぼうっとした顔つきだ。
 とはいえ、今まで立ち上がることもままならなかったのが、一人で寝所から歩いてきたのだ。思わず安堵する八坂に応えるように、建御名方は口の端を持ち上げた。支えになろうと腕を伸ばす八坂を身振りで制す。
「お蔭で、だいぶ楽になったよ。ありがとな」
 直後、建御名方はぶるりと身体を震わせた。彼の上半身は手当てのための布が巻かれているだけだ。ああ、と八坂は頭を下げた。
「申し訳ありません、建御名方様のお衣装、あと少しで完成するのでお待ち頂けますか?」
「わざわざ縫ってくれているのか?」
 目を丸くする建御名方に八坂ははにかんだ。
「元々のお召し物に比べたら粗末なものですけど……ちょっと待っていて下さい」
 せめてもの上衣代わりにと建御名方の寝所にあった掛け布を持ってくる。円座に座り込んだ彼の肩にそっとかけた。
「夏とはいえ、こうも雨続きでは冷えますものね」
「……あれから、ずっと降っているのか?」
 視線だけで振り返る建御名方に首肯する。
「はい。……本当は父のところに男物の装束を借りに行こうと思ったのですが、この雨では厳しくて」
 でも、父のものでは建御名方様には小さいかも知れないので、結果的には良かったのかも知れません、と付け加えながら、作りかけの衣装を引き寄せた。最後の仕上げに入る。
 真剣に針を動かしている横で、建御名方がじっとこちらを見つめているのが分かり、頬に熱が昇ってくる。良家の子息はこんな作業も物珍しいのだろうか。胸の鼓動が早くなってきるのを感じながら、そのようなことを思う。おかげで何度か手元を狂わせかけたが、しばらくしてどうにか完成した。
「できました! 袴も作りましたので、どうぞお召し替えを」
 建御名方が身に着けていた袴は一応形をとどめていたため、今も履き続けられているが、かなりボロボロだった。もちろん、上の衣はおびただしい血と太刀傷で修復不可能だった。
「ありがとう。その前に、布を取り換えてくれないか?」
「分かりました」
 建御名方がほどいた布を片付け、湯を用意する。汗をかいているため絞った手拭いで身体を清めた。上半身全体に白布を巻く八坂の手つきはかなり慣れた者のそれだった。
「……俺がうなされている間も、そうやって取り替えてくれていたんだよな。うっすら覚えてる」
「巻き易いように体勢を変えて下さったの、とても助かりましたよ」
「……そうだっけ」
 新しく作った衣装もそのときに採寸したものだ。建御名方は朦朧としていて気づかなかっただろうが。
 

《次》

 

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