州羽社由緒記
 
 カンカンカンカン、と小気味良い音が絶え間なく響いている。時折強い風が通り抜け、色づいた葉がぶわりと舞い上がる。
「比売! 来てたのか!」
 不意に頭上から声がかかり、八坂は空を振り仰ぐ。木で組まれた足場から身を乗り出した建御名方の姿は、太陽を背にしてひどく目映かった。
 よっ、と勢いをつけ、建御名方の身体が宙を舞った。見上げるほどの高さから難なく飛び降りてくるこの光景も、今ではすっかり見慣れてしまった。
「作業は順調ですか?」
「うーん、冬になる前には完成させたかったんだけどな~。おーい、みんなも適当なところで休んでいいぞー!」
 振り向いて声を張り上げると、あちらこちらから応じる声が返ってくる。州羽の産土神たちだ。
 あれから建御名方は、州羽の発展に尽力することを条件にこの地への移住を認められた。今は守屋山麓の一角に土地を与えられ、国津神の力を借りて新たに住まう社の造営を始めていた。相変わらず八坂の社を間借りしているものの、晴れた日は朝早くから日が落ちるまで造作に励んでいる。
 そうだ、と建御名方は八坂を手招きした。怪訝な顔をする八坂に、いいから、とその場を抜け出す。緩やかな坂を下り、足元が平になった辺りでくるりと西に方向転換する。
 しばらく居並んで歩いていると、微かな音が聞こえてきた。段々大きくなってきたそれは妙に軽快で、カンカン、カンカン、と――。
「……建御名方様?」
「おっ、こっちもだいぶ出来上がってきたなー!」
 満足そうに見やる建御名方とは対照的に、八坂は唖然とした。何故なら、目の前には先ほどと同じ――いや、それ以上に立派な社殿がまさに造られようとしていたのだから。
「どうしてお二つも……?」
「いやー、ここから出られないなら、そのうち父上や母上を呼びたいと思ってさ。そういや事代主にもあれから会ってないな……」
 にこにこと楽しそうに説明する建御名方。八坂は納得した。限られた労力をこうも分散させているのだ。なかなか完成しないのも道理だった。
「……そういえば、出雲でも大国主様の御為に、荘厳なお社が造営されると聞きました」
「そうなのか?」
「はい。それが中津国を献上する条件だったとか……」
 あれから、出雲の地に舞い戻った建御雷により、国譲りは滞りなく進められたという。大国主の名を持つ神は中津国の支配者の座から退き、その地位は天照大御神の子孫に代々受け継がれることが決定した。
「そっか。父上たちは出雲にとどまることを許されたんだな」
 そう言いながら建御名方は空を仰ぎ、流れる雲を眩しげに見つめた。
「なら……良かった」
 くるりと身体を反転させ、真新しい木々で組まれた未完成の社に視線を移す。その表情に、憂いはひと欠片も存在しない。
「じゃあ、なおさらこの社は立派に造らないとな! いつか父上たちが来たとき、あっと驚くくらいに!」
 にかっと満面の笑みを浮かべて建御名方は振り向いた。ふと思いついたかのように八坂の顔を覗き込む。
「そうだ、比売にも一つ作ってやろうか? 今の社の近くにでも」
「えっ!?」
 思いがけない提案に困惑を露わにする。
「お父君や……兄君もいるんだっけ? 誰かが比売を訪ねてきたときに使って貰ったりとかさ」
「け、結構です……そんな、二つも必要になることなんてありませんよ」
「でもさ……」
 建御名方はバツが悪そうに頬をかいた。物言いたげな目線でチラリと八坂を見る。八坂はぱちくりと目を瞬かせた。
「?」
「いや……すげえ言いづらいんだけど」
 気まずそうな顔つきで言葉を濁す。しばらくうんうん唸ったのち、意を決したように顔を上げた。
「俺がここに来てしばらくの間、比売の社に匿って貰っただろ? いや、世話になってるのは今も変わりないんだけど……実はそのせいで、みんな比売のこと誤解してるみたいでさ」
「誤解?」
 問い返しながらも、うっすらと事情は分かり始めていた。頬がだんだんと熱くなってくるのを感じる。
「その……俺と比売が妹背(いもせ)なんじゃないかって」
 どう反応したらいいか分からず、咄嗟に視線を落とした。とはいえ、そのこと自体は八坂にとって予想していたことだった。そもそも綿津見が来訪してきた時点でも父の台詞からそのような気配を感じていた。あのときは本当に男女の仲であると思われているのかまでは判断がつかなかったため言い繕うこともためらわれたのだが。
「本当にごめんな。俺が何も考えていなかったせいで変な噂が立って……もちろん否定はしたけど、この先比売の縁談に障りがあったりしたら申し訳なくて……」
 心の底から歯痒そうな建御名方に、八坂はどう対応すればいいか分からなかった。いえ、と型通りの相槌でその場を繋ぐ。
 彼は何一つとして気づいてはいないのだ。その心からの謝罪が、心からの気遣いが、どれほど彼女の心をえぐるものであるのかということに。
 建御名方が言葉を尽くせば尽くすほど、如何に彼の視界に八坂が映っていないかを思い知らされる。八坂はきつく唇を噛み締めた。
 あの頃は、いずれ建御名方が出雲に帰ってしまうことを恐れていた。会えなくなると思うと辛かった。だから、建御名方がこの地にとどまると決めてくれたとき、にわかには信じられなかったし、反面嬉しくもあった。でも、違うのだ。この先、他の誰かを選んだ建御名方を間近で見続けねばならないかも知れない。その痛みは、離ればなれになったときの比ではないだろう。
「もう……やめて下さい」
 か細く震える声は、ひたすら乾いていた。己の感情を精一杯押し殺して。俯いていた顔を上げ、建御名方に向けて柔らかく微笑んでみせる。
「後悔なんて、していませんから。……建御名方様をお守りできた、それだけで充分です」
 だから、それ以上謝るのはよして下さい、と八坂は続けた。建御名方はホッとしたように息をつき、小さく笑う。素直すぎるその反応から、八坂は不自然にならぬようそっと視線を外した。
 

《次》

 

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