州羽社由緒記
 
 踊り舞っていた紅葉は地に積もり、やがて黒く朽ち果て、その上に白いものが降り積もり。
 凍てつく寒さで州羽湖も凍りつく時節になって、ようやく建御名方の社は完成した。
 その社の四隅にはさながら天を衝くかのように柱が建てられ、神の住まう社としては一風変わったその佇まいは見る者の首を傾げさせた。あれは何か、という問いかけに対し、建御名方は「ちょっと、雷よけにな」と苦笑いで返し、それ以上は語ろうとしなかったという。
 木の香もかぐわしい新造の社では盛大に宴が催され、日が落ちてからもしばし続いたらしい。らしい、というのは、八坂の方は日が傾き始めて早々に抜け出してきたため、はっきりしたことは知らないためだ。建御名方は引き留めてくれたものの、曖昧な笑顔で辞退してしまった。先日の会話を思うと、あまり親しげに振る舞うのも躊躇われた。歩みを進めるごとに遠退く喧噪に、建御名方がこの地に馴染んでくれたことへの喜びと、一抹の寂しさが胸裏をよぎった。
 その日はなかなか寝つけなかった。思えば、一人きりの夕餉は久々だった。ここしばらくは日が落ちてしばらくすると、建御名方がくたくたになって帰ってきて、それからすぐ食事を共にするのが日課になっていた。彼がやってくる前は一人で過ごすのが当たり前だったのに、今では他人の気配のない自宅がひどく不自然なものに思える。
 何度も寝返りを繰り返してみたが、どうも眠れそうにない。八坂は諦めて褥から身体を起こした。上衣を羽織り、廊に出ると暗闇に雪が舞っているのに気づく。月明かりに照らされる粉雪をしばし眺める。吹きさらしだが、風があまりないためかそこまで寒さはこたえなかった。
 そういえば、州羽湖が凍りついてしばらく経つが、今年はまだ湖畔をゆっくり散歩していない。明日辺り、天候が落ち着いていたら気晴らしに出かけてみようか――そんなことを考えていた矢先。
 
 ドンドン! ドンドン!
 
 けたたましい音に思わず八坂は肩を震わせた。何かを叩くような音に、恐る恐る耳を澄ませる。どうも表の方から聞こえてくるようだが、一体何なのだろう。好奇心よりも恐怖心の方が勝り、八坂はどうするべきか迷った。そうしている間にも物音はずっと響き続けている。
 八坂は忍び足で表へと向かった。本殿の正面の扉に身体を預けるように寄りかかる。ドンドン、という音は拝殿の方から聞こえた。鰐口も鳴らさずひたすらに戸を叩いているらしい。
「ど……どなたですか?」
 大丈夫、鍵のかかったこの扉を超えられることはない。そう自身を奮い立たせて問いを投げかけた。すると、音が止んだ。
 
「――――比売?」
 
 聞こえてきた声に、八坂は即座に掛け金を外した。慌てて扉を開け放つ。
「建御名方様!?」
 拝殿には、白い何かを身にまとった建御名方が立ちすくんでいた。足をもつれさせながら駆け寄り、肩口に積もった粉を払う。
「どうなさったんですか、そんなお姿で……!」
 建御名方は防寒着一つ身につけていなかった。雪を全身にかぶった彼は、呆けた様子で八坂を見つめ――両腕で強く抱き締める。
 しばし、時が止まったかのようだった。八坂は息もできず、ただ固まってしまう。
 建御名方の身体は冷え切っていた。しかし寒さに凍えているわけではなさそうだった。その身体は震えておらず、伝わってくるのは心臓の音だけ。
 ぎゅっと両腕に力が込められ、八坂は反射的に身を縮めた。頭ごと抱え込むような抱擁に息ができなくなる。
「た、たけみなかたさま……離し」
「やだ」
 即座に拒まれ、八坂は目を白黒させた。しかし、されるがままになるのも限界だった。
「……っ、息が、苦し……」
 途切れ途切れの抗議が効いたのか、建御名方は駄目押しに一度力を込めたのち、八坂を解放した。はあ、と重い吐息が漏れる。思い出したかのようにドドドドと脈打っている胸を押さえ、八坂は気まずげに視線を逸らした。
「……入れて貰ってもいいかな?」
 遠慮がちな建御名方の問いかけについ即答する。
「は、はい。もちろんです」
 赤くなった顔を見られまいとくるりと背を向け、社の中に戻る。後に続く建御名方の気配を感じながら、八坂は先ほどの出来事を反芻していた。正直、訳が分からない。求めに応じてつい招き入れてしまったが、もしかしてもっと深い意味でもあったのだろうか。かっと頬に血が上り、慌てて首を振る。こんな動揺した状態で、面と向かって話ができるとも思えず、八坂は建御名方に背を向けたまま小さな声を振り絞った。
「それで、建御名方様はどうしてここに……?」
「ん……何か、宴が終わってしばらくしたら、急に比売に会いたくなってさ」
 どきりとした。灯をつけながら愛想笑いを向ける。
「そんな、夕方までお会いしていたではありませんか」
「そうなんだけどさー、一人になったら急に寂しくなってきて。気づいたらここで扉を叩いていたっていうか」
 正面に腰掛けながら、ははは、と屈託なく笑う建御名方。まるで子供みたいな様子に、八坂の顔つきもつい穏やかなものになった。
「比売」
「はい」
 だから、突然その声色が真剣なものになったことにも気づけないまま。
「俺、比売のことが好きだ。俺の妃になってくれないか」
 真っ直ぐに見つめられてそう請われたときも、すぐには反応できなかった。
「……え?」
「駄目か?」
 建御名方の顔が目に見えて曇り、慌てて八坂はかぶりを振った。
「違います! そうではなくて、えっと……」
「いいんだな!? やった!」
 がばっと抱きつかれ、八坂は言葉を失った。ぎゅうう、と締め付けられる。肩にあごを乗せる形になり、至近距離に感じる建御名方の顔にどきどきする。しかし、どうしても戸惑いだけはぬぐい去れず、おずおずと尋ねた。
 

《次》

 

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