双輪 ―フタツノワ―
 
 女が里の集会に呼び出されたのは、それから六年後のこと。
 指定された時刻より大分遅れて姿を現した女に、里の役人たちの視線は集中した。しかし、進んで遅刻を咎め立てようとする者はしない。――恐れているのだ、得体の知れない、この巫女を。
「――遅れてきた上に、謝罪の言葉もなしか。良いご身分だな、巫女殿」
 沈黙をいとも簡単に打ち破る低い声に、役人たちは顔を上げた。声の主を捜し求め、巫女を除く全員の目が里長の姿を射抜く。
 興味がなさそうにただ正座していた巫女もようやく顔を上げ、クスリと唇を歪ませる。それと同時にちりん、と鈴が鳴った。その音に肩を縮める者も幾人か。
「――呼び出したのはそちらであろう、来てやっただけでも有り難いと思え」
 この巫女が会合に参加する場合、理由は一つしかない。――神から託宣を受けた時だ。それ以外は決して里の者に姿を見せようとはしないし、鎮守の森から出ようともしない。
 里長も、そのことは十分知っていた。それ抜きにしても、彼はこの巫女と好きこのんで顔を合わせたいとは思わないし、目の前にこうして座っているだけでも悪寒が走る。出来れば森の奥に引き籠って二度と里へは出てきて欲しくない。
 しかしながら、彼は負けじと唇をつり上げた。
「巫女殿よ、近頃この里で流れている噂についてはご存知かな?」
 周りの者がざわめきだした。彼らはその「噂」について知っているのだ。巫女を指差し、あからさまに何か囁きあう者もいる。対する巫女は、しばらく何の反応も示さなかったが、やがて唇を開いた。
「さあ、知らぬな」
「――嘘を言うな!」
 その言葉に、役人の一人が立ち上がった。勢いのまま巫女に詰め寄ろうとするが、それを押し止めたのは里長だった。
「――良い、其方(そなた)は座っておれ。……まことに知らぬと申されるか?」
 後半は巫女に向けての問いだった。彼女は、今度はすぐに頷き、言葉を紡いだ。
「――我が背たる大神様に誓って」
 その言葉を待っていた。
 里長はにやりと笑い、一つ息を吸い込んだ。
「ではこちらから話そう。――噂とは、あの鎮守の森に、女の幼子が住んでいるというものだ。言うまでもなくあの森には大神様と、それを祀られる巫女殿しかいらっしゃるはずがない。神事の時を除いて、一般人は入ることも許されぬ神聖な森だ。……お心当たりはおありか?」
「ああ」
 巫女の返事は素早かった。その表情に笑みを崩すことなく、続ける。
「それは、大神様と私の子だ」
「――ほざくな!」
 里長はとうとう立ち上がった。今にも掴みかからんばかりに歩き出し、巫女の正面で立ち止まる。胸倉を掴み上げることをしないのは、単にその身体に触れることを厭うためだ。
「この女狐め! 自ら神の妻だの、戯けたことを口走りながら密かに男を通わしておったとはな! 神の子だと? そんなことがあるか。神などいるはずもないからな! とうとう正体を現しおったな、とっととこの里から消えるが良い!」
 あまりの剣幕に、一同は騒然となった。長がここまで感情をあらわにした光景を、誰も見たことがなかったのだ。そんな中で、当事者である巫女は変わらず平然としていた。
「――あの娘は、大神様が私に授けた子。それは長、其方が一番よくご存知のはず」
「何を訳の分からないことを。血迷ったか? ああ、其方が狂っているのは元から――」
「六年前」
 その数字に、思わず里長は息を呑む。
「――六年前、私は大神様より託宣を承った。我らの子となるべき者が、鎮守の森の、川のほとりに現る、と」
 ガタッ
 里長は思わず飛び退いた。その顔は目に見えて青ざめ、先ほどとは正反対の、怯えきった瞳で巫女を見つめる。ゆっくりと右手を持ち上げ、巫女を指差し何か叫ぼうとするが、ただ口を上下させるのみで言葉は喉の奥に消えていく。その態度の豹変ぶりに、周りの者は一様に腰を上げた。
「長? ……いかがなさいました?」
「六年前とか申されましたが……それが何か?」
 その質問に、長は耳をぴくりと震わせ、慌ててそちらを向き、立ち上がった。辺りを見回して懸命に言葉を発する。
「ななな、何でもない! 私は大丈夫だ。さあ、今回の話し合いは終わりだ! 皆の者、帰路につくが良い!」
 急に終了を告げられ、役人たちは訝しげな顔をした。どう考えても大丈夫な顔ではなかったが、無理に詮索して睨まれたくはない。
 長の右腕とも言うべき存在の男が立ち上がったのを見て、他の人々も渋々席を離れた。
「……ったく、一体どうなさったんだ長は」
「『これであの巫女を追い出せる』とか息巻いていたのはあの方だろうに……」
 ぼそぼそと聞こえてくる不満の声に、長は弁解を口にする余裕もなかった。
 

《次》

 

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