双輪 ―フタツノワ―
 
 それからたびたび、明宏は鎮守の森へ向かった。明宏が行くと、大体みかげはいつもの場所にいた。森の中の暮らしは相当暇らしい。いつの頃からか、喉が渇くので茶まで用意してくれるようになっていた。
 父親に、このことは気付かれていないようだった。あれから何も言ってこないし、明宏とて気付かれるようなヘマはしていない。巫女とも何度か集会で顔を合わせたが、何も言ってこなかった。
「だから、みかげも一度里に来いよ。面白い場所、いっぱい連れてってやるから」
「でも……穢れに触れては駄目って、巫女様が」
「本当かー?」
 明宏にとっては、その穢れ云々というものがとても胡散臭く感じた。だが、みかげはそれを信じ込んでいるようだ。
「大丈夫。私、早く一人前になるから。そうしたら里にも行けるわ。明宏にも……私から会いに行ける」
「で、どうやったら一人前になれるわけ?」
「う、……それは……」
 それ見ろ、と明宏は溜息をついた。そんな先の見通しもつかないような約束、信用出来ない。湯飲みをもてあそびながら明宏は恨めしげな目を向けた。
「で、でもっ! いつかは私だって神託を受けられるようになるって、巫女様は仰ってたわ!」
 顔を真っ赤にして言い返すみかげを、明宏は笑って受け流した。心地良い。里にもたくさんの友人はいるが、それでも「長の息子」という足枷は常に付きまとう。何も知らないみかげは、明宏にとって真の意味での対等に話せる人間だった。
 それでも、いつかはそのことも話すべきだろうな、とは漠然と考えていた。隠しごとをしているのはきまりが悪い。
 そうだ、と明宏は口を開いた。訊きづらくてずっと黙っていたのだが、この際だ。
「なあ。……みかげの本当の親って誰なんだ?」
 最初に話してくれた時は、里に住んでいる人だということしか教えてくれなかった。しかし、里人ということはつまり明宏の知り合いということである。そう人口が多いわけでもないから、それは確実だ。知り合いにみかげを捨てた奴がいるなんて、明宏には信じがたかったのだ。
 案の定、みかげは困ったように眉を寄せた。
「……巫女様に口止めされてるの。もし誰かに訊かれても答えるなって」
「そこを何とか!」
 明宏は手を合わせて懇願した。みかげ自身も、明宏がこうまでして知りたがる理由を知っている。幾度か視線をさまよわせた後、とうとうみかげは頷いた。
「……いいわ。明宏は私の最初のお友達だから」
 教えてあげる、とみかげは耳打ちするように、手を口元にかざした。自然、明宏もそれに合わせて首を傾ける。この仕草は、明宏が教えたものだ。
 誰にも内緒よ、と悪戯っぽく微笑むみかげに明宏は驚いた。いつの間にかこんな表情も出来るようになっていたのか、と。そして、みかげの唇が小さく動いた。
 明宏の手から、湯飲みが滑り落ちた。
 
 ――あのね、私、本当は里長の娘なんだって。
 
 辺りにぶちまけられた茶に、みかげは驚いて身をすくませた。ここまで明宏が驚くとは思わなかったのだろう。一瞬遅れて、茶の苦い香りが広がる。
「――だ……」
「あ、明宏!? どうし……」
 青ざめるみかげを、明宏は黙って制した。今更ながら身体が震えだす。この気持ちは何だ。驚愕か、疑問か、それとも怒りか――。
「…………俺の、親父だ」
「――え?」
 何て言ったの、とみかげは訊き返すことが出来なかった。疑いの余地もないほどその声ははっきり、無情に響き渡った。
「……間違いない。俺は、里長の息子なんだ」
「…………」
 もう、みかげは声も出ない。明宏とて信じたくはなかった。みかげの話が本当なら、己の父親は自らの子を捨てたことになる。間引きというのは珍しいことではなかったにせよ、残虐非道な行いであることは変わらない。父は、そんなことを成し遂げて、これまで平然と暮らしてきたのか。
「――とうとう気付いたか」
「!?」
 振り返ると、そこにはあの巫女が立っていた。唇の端には、平素と変わらぬ笑みが覗いている。
 突然の出来事に声も出せないでいると、巫女がこちらに歩み寄ってきた。ちりん、というこの場にはそぐわない清浄な鈴の音に、明宏の思考回路はようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。
「……巫女、殿……」
「巫女様……」
 みかげものろのろと顔を上げた。
「残念ながら、みかげの話は本当だ。里長の子息よ、みかげは其方の双子の姉ということになるな」
「姉……?」
 ガツンと、頭を思い切り殴られたような気がした。先日の父からのげんこつなんか生温い。肉体の痛みよりも、精神のそれの方がずっと衝撃的なのだと、明宏は改めて実感した。
 何から言えば分からなくて、でも何も言わないでいるのは耐えられず、彼はこの場には少々そぐわない一言を口にした。
「いつから……気付いていたんですか」
 俺がここに来ていることに、と。声にならない疑問も、巫女にはきちんと届いた。彼女はふっと表情を緩ませる。
「最初からだ。特に問題はないと思い、見逃しておいたまで」
「そう、ですか……」
 結局は、全て巫女の手の平の上だったということか。明宏とみかげの出会いから、何から何まで。
「――みこさま」
 弱々しい声が、かろうじて響いた。そちらに視線を向けると、へたり込んだみかげが、子犬のような目をして巫女を見上げていた。
「……本当なのですか? 本当に、私と明宏は――」
「私が虚言を申したことがあったか?」
 その言葉に、みかげは再び俯いてしまった。
 友人だと思っていた相手が実は双子の姉弟だった。そのことが嫌なわけではない。ただ、思いもよらなさすぎて困惑しているだけで。みかげはそうだった。しかし――明宏は、大きく絶望していた。
 自分の父親が、己の娘を、みかげを捨てた。しかも、その後も平然と生きてきた。間引きという行為は珍しくはないが、それでも父が赦されざる罪を犯したことに変わりはない。
「――親父に、会わなきゃ」
「あきひろ?」
「会って、確かめてくる。――本当に、みかげと俺が姉弟なのか。……親父がみかげを捨てたのか」
 みかげは、まるで助けを請うように巫女を見た。しかし巫女の表情は変わらない。
「好きにするが良い。あの男が真実を口にするかは知らないが。――それより、長の息子よ」
「……明宏です」
「ならば明宏。其方はもう、ここに来るな」
「!」
 息を呑んだのはみかげだった。対する明宏は、感情の見えない顔で問いかける。
「……もしも来たら、巫女殿はどうするんですか」
 何故、とは訊かない。尋ねずとも予想はついた。
「どうするか、か。私は別に何をしようとも思わない。――大神様の仰せがあれば別だが」
 その言葉に呼応して、鈴が鳴る。風もないのに。まるで、森の奥の社に宿る大神様が、巫女の声に応えたようだ。みかげはぼんやりと思った。
 明宏は巫女の返事に是とも否とも言わず、ただ一度みかげの方をちらりと見て、踵を返した。
 その瞳に、確かな決意を秘めて。
 

《次》

 

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