双輪 ―フタツノワ―
 
 人目を憚るように参道を歩く人影に、誰だろうと思った。声をかけようとも考えたが、相手があまりにも張り詰めた顔をしているのが怖くて――こっそり、後をつけた。そして、彼と巫女との話を聞いてしまった。
 身体が震えてたまらなかった。あの人が、自分の父親。自分を捨てた、張本人――。本気で怖かった。あれほど剥き出しにされた嫌悪感を、みかげは感じたことがなかった。今まで、巫女一人に育てられ、他人との接触を絶っていたから。
 話が終わったらしく、男はこちらへ近づいてきた。どうしよう。逃げるべきだろうか、それとも――。
 気付いた時には、茂みから飛び出していた。
 
 里長は、突如姿を現した少女が誰か、一目で分かったようだった。この森でこんな格好をして暮らしている少女など、二人も三人もいるはずがない。
「――!?」
「あ、の……」
 父君様、と呼ぶべきなのだろうか。みかげはしばし逡巡するが、二言目を発することはなかった。目の前の男が、化け物でも見るような目をして、自分に視線を注いでいることに気付いたからだ。
「あ……あ……」
 自分を指差し、ゆっくりと後ずさる。しかし背後には巫女のいる社しかないことを思い出し、舌打ちをしてみかげを睨み付けた。その様子にみかげはどう声をかけるべきか分からず、おろおろとするばかりだ。
「え、っと……」
「く、来るな!」
 思わず一歩踏み出したみかげに返ってきたのは、明らかな拒絶。それに衝撃を受ける彼女に、長は恐る恐る尋ねた。
「――お前も……『神の声』が聞こえるのか」
「……え?」
 みかげが答える前に、長はぐっと拳を握り締めた。
「お前も、巫女と同じなのか。神の存在を語り、怪しげな託宣を受け――私を、苦しませるのか」
「待っ――」
「この――化け物!」
 里長はそう捨て台詞を吐いて、駆け出した。みかげが追う暇もなかった。追う気力がなかったのもある。あの、嫌悪と恐怖に覆われた瞳を思い出すと――足がすくんだ。
 みかげはしばらく俯いたまま、その場に立ち尽くしていた。
 
「――みかげ!」
 呼ばれたことにも気付かず、みかげは呆然としている。
「みかげっ、どうしたんだよ――みかげ!」
 強く肩を揺さぶられ、ようやく彼女ははっと目を見開く。
「あき……ひろ」
「何で来ないんだよ、折角親父の目を盗んで――」
 結局みかげと出会えたのは、父親が森から駆け出てきた後だ。父親が巫女の元にいる間にと時間稼ぎしようとしたのに、無駄になってしまった。もう、一刻の猶予もない。
 明宏は急に真剣な顔になり、こう言った。
「みかげ、――今から逃げるぞ」
「……え?」
「お前はこんなところにいちゃ駄目だ。一生をこんなところで過ごすなんて――間違っている」
 それから、明宏は笑いかけた。
「みかげだって、外に出たいって言ってただろ? 自由に生きればいいんだ、この森に囚われる必要はない」
 巫女は、きっと明宏がこう言い出すことを予感している。だからこそ、彼女はみかげとの会見を禁じた。つまり――もう、のんびりしてはいられないのだ。
 ほら、と明宏はみかげの手を引く。しかし、みかげの足は動かない。訝しげに振り向いた明宏の目に映ったのは、哀しげに微笑むみかげの顔だった。
 彼女は、明宏のその手を払い除けた。
 
「――私は、行けない」
 
 耳に入ってきたその言葉が、信じられなかった。
 思わず聞き返そうとする明宏だが、みかげのその表情を見て口をつぐむ。聞き間違いでは、決してない。
「何でだよ!? お前、あれほど外に行くのを楽しみにしていただろ!? 里に下りて、もっともっと、外の世界を知りたいって――」
 その質問に、みかげは答えなかった。もう一度伸びてくる明宏の手から、一歩退いて逃れる。
「……何でだよ」
 明宏は俯き、そしてきっと顔を上げた。理由を聞くまでは帰らないと、そう暗に告げる目だ。
 しかし、みかげはそれに応えない。
「私は、行けないの」
 だって、私は知ってしまったから。
 巫女様と、「父君様」のことを。かつては想い合っていた者たちが、今ではお互い憎み合っていることを。
 「父君様」は自分を、化け物と言った。
 その時、思ってしまったのだ。――明宏も、いつかはこんな目で自分を見るのかも知れない。いつかは、明宏と自分も隔たってしまうのかも知れない。
 それが――怖くて。
 ――だったら、こちらから繋がりを絶ってしまう方がいい。
 明宏に、裏切られる前に。
「……答えろよ」
 何度も何度も明宏は食い下がるが、みかげは黙って首を振るだけだ。その目からは大粒の涙が溢れていたが、彼女はそれを拭おうともしない。ただ、口をつぐむだけ。
 泣きたいのはこっちだ。明宏の顔が歪む。共に行くのが嫌なだけなら――何故、このように哀しげな目をして泣くのだ。何故、こちらを拒みながらもすがり付いてくるような、不思議な瞳を潤ませるのだ。
 みかげの唇が、小さく動く。そこから紡ぎだされたのは、明宏が決して望んでなどいない言葉だった。
「……ごめんなさい」
 

《次》

 

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