宮中奮闘記 ―員外二―
 
「殿。折り入ってご相談したいことがあるのですが、宜しいでしょうか」
 日もとうに落ち、女房たちが局に下がった頃合いを見計らい、筑紫は主人である行隆の居室を訪ねた。直衣姿の彼は文机に向かって何か書き物をしていたが、筑紫の声に反応して顔を上げる。
「どうしました?」
 そのまま筆を置き、筑紫に向き直るようにして腰掛ける。普段通りの柔和な表情だが、彼女がわざわざ一人きりの時間帯を狙ってきた意図を察したのだろう、余計な口を挟む様子はない。理解が早くて助かる、と筑紫は単刀直入に切り出した。
「私に、適当な夫となる男(おのこ)を見繕って頂くことはできますか」
 睫に縁取られた切れ長の目は、変わらず真剣な光を宿している。行隆は整った顔立ちに一瞬だけ虚を突かれたような色を浮かべたが、すぐに唇を開く。
「……勿論。貴女が望むのならば、喜んで仲立ちしましょう。しかし、どういう心境の変化です?」
 筑紫は行隆付きの――ひいてはこの邸の筆頭女房であり、彼の乳姉弟でもある。今までだって縁談がなかったわけではないが、そうした立場から忙しさを理由に全て断っていたのだ。
「……実は」
 筑紫は少々苦々しげな表情をし、視線を逸らす。
「北の方様が、どうも、私と殿の関係を疑っていらっしゃるようでして……」
 それは貴方もご存知でしょうが、と筑紫は再び行隆を見据える。思った通り、彼は平然と微笑んだままだった。
「この際、私が身を固めてしまえば、あらぬ誤解も解けるのではないかと」
「なるほど」
 行隆はくすくすと笑った。
「筑紫は真面目ですから、よもや夫ある身で邸の主人と通じることはあるまいと」
「他人事のようにおっしゃってますけど、貴方も当事者ですよ」
「上のことは許してあげて下さい。可愛らしい悋気ではないですか」
「殿にとってはそうでしょうけれど、私は北の方様に妬かれても一つも益などないのです。というか、主人の妻に敵意を向けられては、やりづらくて仕方がありません」
 筑紫は仏頂面だった。元々感情の起伏に乏しい彼女は、なんでもないときでも不機嫌にしていると誤解されがちではあるのだが、今は見るからに不本意な様子だ。
 北の方――華姫は、その呼び名の通り行隆の正妻であり、彼より四歳年下の、まだあどけない少女である。結婚当初こそ二人の仲は芳しいものではなかったというが、今ではすっかり打ち解けて、その睦まじさは邸内の誰もが認めるところだった。筑紫としても、穏やかで人当たりが良いように見えてその実、他人とは表面的にしか付き合わない行隆が、華姫のことは心から慈しんでいる様子に驚いたものだし、そんな彼女の存在をありがたくも思っている。
 問題は、華姫がむやみやたらと嫉妬深いことだった。見目麗しい若公達であり、女性との交情もそれなりにある行隆であるから、不安になる気持ちはまあ、分からないでもない。しかし、筑紫と彼の間には色めいた話など一切なかった。乳姉弟ということで物心つく前から共にあった二人は、近しい間柄ではあるもののあくまで主従でしかない。元々寡黙な性格の筑紫は、行隆と無駄に馴れ馴れしく接しているわけでもない。疑いを持たれるいわれはなかった。
 筑紫は冷ややかな声色で呟く。
「殿がもっと北の方様の信頼を勝ち取っていらっしゃれば、このようなお願いをすることもなかったのですから」
「おや、それは耳が痛いですね」
 全然そうは思っていない様子で行隆は応じた。
「話は分かりました。理由はどうあれ、筑紫が結婚に前向きになったのは良いことです。しかし、私に任せてしまっても良いのですか? 貴女にも文を寄越す男(おのこ)の一人や二人、いるでしょう。その者たちでは不足でしたか?」
「……それも、考えなかったわけではありませんが」
 筑紫も十九歳、女盛りの真っ只中である。今までに男を通わせたこともあるにはある。だが、彼女の性格上、つい仕事を優先させるあまり相手をなおざりにしてしまい、ことごとく長続きしなかった。
「私はあまり、他人を大事にできない性分なので。好いてくれる人を夫にしても、上手くいかないでしょうから」
「そういうものですか……。まあ、筑紫とは長い付き合いですし、貴女に合いそうな相手を探してみますよ」
 

《次》

 

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