宮中奮闘記 ―員外二―
 
 そういえば、と行隆は人のよさそうな笑みを作る。
「考えてみたら、筑紫の男の趣味を知りませんでしたね。どういう相手がいいとか、ご要望はありますか?」
 筑紫はふむ、と考え込むような仕草をした。しばしの間ののち、ゆっくりと口を開く。
「……とりあえず、殿とは似ても似つかぬ方がいいですね」
「……これは手厳しいことを言いますね」
「そういう意味ではなく。万が一、私の夫になるのが殿を彷彿とさせる方で、それが北の方様のお耳に届いたとすれば、未練があるのではと邪推されかねません」
 至極真面目な筑紫の口調に、行隆はふふ、と笑った。
「抜かりないですね」
「北の方様のご不興を買わないためですから。……あとこれは、理想を言うならという話なので、絶対というわけではないのですが……」
 ためらいがちに言葉を切る筑紫。行隆は怪訝な顔をする。無言で続きを促すと、筑紫は従った。
「殿に日頃から近侍している者でもし相応の方がいるなら、是非とも縁付けて頂きたいところです。勤め先が一緒の方が、何かと都合が良いと思いますので」
「おや、そうですか」
 行隆は目を丸くする。まるで当てが外れたといった様子だ。脇息を引き寄せ、ゆるりと脚を崩す。
「その忠義心はありがたい限りですが……私としては、筑紫にはもっと良い相手を紹介してやりたいところですよ」
 彼は懐から蝙蝠(かわほり)を取り出すと、細長い指を添えてぱちぱちと開き始めた。
「貴女のように美貌も才気も持ち合わせた人なら、面倒を見てやりたいと思う公達はいるでしょうし、それでは身に余るというならばどこぞの裕福な受領とかでも……」
「……確かに、それはそれで良いかも知れませんね」
 考えてもみなかった、というように、筑紫は唇に指を当てる。
「ここで公達の妾なり受領の妻なりにおさまってしまえば、気苦労の多いお邸勤めを続ける必要もなくなりますし?」
「おっと、そうきましたか。勘弁して下さい。筑紫がいなくなったら、誰がこの邸を切り盛りして行くのですか」
「冗談ですよ」
 ふっと筑紫が表情を緩める。彼女がたまに浮かべる、穏やかな微笑だった。
 その直後、筑紫はぴくりと身体を震わせ、さっと後ろを振り向いた。行隆もつられて彼女の背後に視線を移す。
「どうかしましたか?」
「なんか……物音がしたような」
 筑紫は立ち上がり、下ろされた御簾に近寄った。左手で押し退け、外の様子を窺い――目線を下方に向けてぎくっとする。
「北の方……様」
 そこには柱を背にして両膝を抱え、恨めしそうに筑紫を見上げる小柄な少女がいた。先ほどから話題に上っていた行隆の正妻、華姫である。思わず筑紫は冷や汗をかくが、よく考えたら別に後ろめたいことなど何もしていない。筑紫はふう、と息を吐き出すと、御簾をある程度の高さまで持ち上げた。
「……北の方様。そちらは冷えますので、どうぞ中に」
 華姫は眉を寄せ、筑紫をじっと見返していたが、やがて気を取り直したように腰を浮かせた。華姫が室内に入ると、奥に座していた行隆の表情が明るくなる。
「上。会いに来て下さったのですか?」
「……随分と楽しそうにお話しされていたんですのね」
「ほら、こちらにいらっしゃい」
 行隆は脇息を移動させ、華姫を迎えるための場所を作る。華姫は筑紫をちらりと見やると、ぱたぱたと行隆の元に駈け出した。その眉は相変わらず寄せられたままだ。行隆は腕を伸ばし、華姫の腰を捕らえると、そのまま自分の片膝に座らせるようにして抱え込む。
「捕まえましたよ。……盗み聞きとはいけない人ですね」
「こそこそ逢い引きしていた方に言われたくありませんわ」
「……あの、北の方様。会話の内容は聞こえていらっしゃらないでしょう?」
 筑紫がおずおずと割って入る。聞こえていたとしたらそんな誤解などする余地がない。案の定、華姫はつんとそっぽを向く。ただでさえ童顔なのに、子供じみたその所作はますます彼女を幼く見せた。
「中身は分からなくても、二人きりで楽しい時間を過ごしていたのは事実ではないの?」
「おやおや、今宵の上はご機嫌斜めですね」
 行隆は華姫を更に引き寄せ、背後から抱き締めるような姿勢を取り、その肩にあごを乗せた。耳元で囁く。
「ご心配には及びませんよ。筑紫とは邸内の奥向きのことで、少し話をしていただけです」
「嘘ばっかり! わたくしは騙されませんわ」
「やきもちですか? 可愛らしい上」
 そして行隆は、いまだに膨れっ面を続ける華姫の頬に軽く口づける。華姫は弾かれたように行隆を見つめ、それから筑紫の存在を思い出したようにこちらを向き、照れくさそうな面持ちで俯いた。
 

《次》

 

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