たずねびと。番外―決別
 
 時成たちがこの地を訪れるのは、実のところ久々であった。昔ならいざ知らず、既に「父親」としてタカヒトやリノの前に現れ、そして二度と会わないことを約束した以上、うかつに立ち寄ることはできない。普通なら、実章の配下の者を遣わして、万が一子供らに見つかっても時成からの使者と知られないようにしていた。
 ムツミが用意した井戸水をぐっと飲み干した時成は、気持ち良さそうに息をつき、それから背筋を正した。
「無理を言ってすみませんな」
 軽く頭を下げるその様子は、とても一城の主として相応しいものではない。相手は兄嫁とはいえ、その「兄」は卑母の生まれ。彼が先代城主の子であることを知る者はほとんどいない。
 対するムツミは黙ってかぶりを振るだけだ。恐る恐る、実章が尋ねる。
「ところで……タカヒト殿と、リノ殿は?」
 招かれるままに家に上がり込んだものの、どこか声をひそめている。不在であるとは聞いているが、いつ帰ってくるかも分からないのに落ち着くことなどできなかった。
「タカヒトは、身重の嫁が実家に帰っているので泊まりがけで見舞いに。リノはあちらのご両親のお墓参りで、夕刻までは戻りません」
「実章、其方は怯えすぎではないか?」
 飄々と口を挟んでくる主に実章はすかさず噛みついた。
「御屋形様に危機感がないゆえです!」
「それは心外じゃな。今日のためにあの子らを外出させるよう頼んだのはこの私だぞ?」
「外出と申しても色々あるではありませんか。短時間で済む類いのものではないようで安心しましたが……」
 後半はムツミに向けての台詞だ。彼女は控えめに頷く。
「――さて。では、改めて」
 時成の声色が変わった。それを受けて、実章はさっと居住まいを正す。
「このたびは、娘御のご婚儀が決まったとのこと、まことにおめでとうございます」
「おめでとうございます」
 深々と頭を垂れる二人。しばらくして両者とも顔を上げると、今度はムツミがお辞儀を返した。
「わざわざお運び下さいまして、ありがとうございます」
 ふう、と時成は息をついた。
「もう、あれから三年近くになりますか。リノの様子は如何ですか」
「城主様にお目もじした頃よりは、だいぶ娘らしくなったかと思います。髪も伸びましたし、着物の裾も長いものを選ぶようになりました」
 ムツミの説明に、時成の目元が和んだ。記憶に残る少女をもとに、今の姿を想像しているのだろう。
「実章」
 声をかけられ、びくりと反応した。主君の意を汲み、脇に置いていた唐櫃をすす、と前に差し出す。ここまでの道中、ずっと彼が抱えていたものだ。
「それは……」
「祝いの品です。どうぞお納め下さい」
 時成に促され、実章はどこかためらいがちに進み出た。ゆっくりと紐を解き、上蓋を持ち上げる。訝しそうなムツミは、その中を覗き込んだ瞬間、息を呑んだ。
「城主様。あの――」
「本当は、タカヒトのときにも相応のものをお持ちしたかったのですが、用意が間に合わず」
「城主様」
 たまらずムツミは遮った。らしくないその振る舞いに、実章は内心で嘆息する。やはり、と居たたまれない気持ちになった。
 唐櫃の中身は、純白の花嫁衣装だった。誰も袖を通していないそれは、時成が密かに調達させた一級品で――田舎娘が身にまとうには明らかに不釣り合いなもので。
 ムツミが見せた表情は、感謝、歓喜というよりは、圧倒的に困惑が勝ったものであった。
「…………このようなものを、頂くわけには参りません」
 幾分か迷うような沈黙の末、ムツミは絞り出すように言葉を発した。時成の眉がぴくりと動く。
「考えてみて下さい。こんな素晴らしい品を、どうしてあの子たちに見せられましょう。どうやってこれを、と問われたら、何と答えれば良いのですか」
「……『父』からの贈物というわけには、いきませぬか。それならば、娘御も納得するでしょう」
 返す時成の眼差しは揺るぎなかった。ムツミの反応が予想の範囲内であったためでもあろう。
 そう、今回の品を用意するに当たって、実章も進言したのだ。もっと彼らの生活に相応しいものにするべきではと。しかし、時成は頑として自身の要望を曲げなかった。どうしても花嫁衣装を贈りたい。質を下げるなんてまっぴらだ。当初予定より高価なものにするならともかく、何故わざと安物にする必要があるのか。そう言って実章の提案を突っぱねた。
「……確かにそれならば、納得もするし、何よりとても喜ぶと思います。でも、それは……」
 ムツミの瞳が哀しげな色を帯びる。
「あの子たちの記憶に僅かに残る、あの人の面影を薄めることになるとは思いませんか?」
 三年前の「再会」のとき、時成がタカヒトやリノに永遠の別離を宣言したのは、何も今後の交流が生まれることによって偽りが露見することを恐れたためではない。
 時成が請け負うのはあくまで「父が生きていた」という希望を与えることであり、子供らのこれからの人生に父親との思い出を作ることではないのだ。
「ならば、これは売り払って頂いて構いませぬ。それで得た金で、相応しい衣装なり、婚儀当日の酒肴なりを購入して下され」
「祝言は身内のみで慎ましく行うつもりです。とても使い切れません」
「当日のものでなくても」
「いいえ。……いいえ!」
 否定、いや拒否といった方が適切だろうか。感情をあらわにするムツミに、さしもの時成も口をつぐんだ。ゆるゆると顔を上げ、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「本日お会いしたら、お伝えしようと決めておりました」
 なにやら不穏な雲行きに、実章の喉がゴクリと鳴る。
「城主様には、本当に感謝しております。十年前のあの日から、寡婦となった私のため、父なし子となったあの子たちのため、陰ながらご援助下さったこと。私たちが苦労なくこれまで暮らしてこられたのは、あなた様あってのことです。でも、――これで最後にして頂きたいのです」
 落ち着いた口調で、しかしはっきりと言い渡された言葉に、時成の目が見開かれた。
 

《次》

 

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