たずねびと。番外―決別
 
「タカヒトはもうすぐ子が産まれます。リノも婚礼が決まりました。私たちは、もう大丈夫です。あの子たちは、これからは自分たちの力で生きていけます」
 そう語るムツミの表情は穏やかだった。瞠目していた時成だったが、徐々にその強ばりはほぐれていく。但し、その唇は真一文字に引き結ばれたままだ。
 横目でその表情の変化を見ていた実章は、ぐっと口の端を噛み締めた。普段は考えの読めない主君だが、今はその心情が痛いほど分かる。何も彼は、戦に巻き込み、夫や父を奪った自責の念だけで支援をしてきたわけではない。今回、華美にすぎる祝いの品を持ってきたのだって、姪に対する多大な愛情があってのことだ。
「ムツミ殿」
「良い、実章」
 こらえきれずに口を開いた瞬間、時成に制止される。思わず主君の顔を見ると、彼の表情は随分と柔らかなものになっていた。
「……承知致しました、義姉上。知らぬ間に、長い時が経っていたのですな」
 その微笑みには僅かに寂しそうな色が見て取れる。
 時成は生来、家族の情に恵まれぬ日々を送ってきた。父は戦乱に明け暮れ家庭を顧みず、母は嫡子らしからぬ振る舞いを見せる時成に厳しかった。妻妾はついに一人も迎えず、実子も持たず、今となっては唯一、公に肉親と呼べる異母弟の一族とは仲が悪い。くだんの婚礼衣装を用意するときも、先年嫁入りを果たしたあちらの姪姫に劣るものは認めないと、やけに頑なだった。それだけに、自身を純粋に想ってくれたカンジロウやその妻子に対して、ひときわ思い入れを持っている。
 最悪、受け取ることを拒まれるやもと上申した実章に、それも覚悟の上と切り返した瞳を思い起こす。恐れていたそれは、どうやら現実のものになりそうだった。
「この衣装にリノが袖を通すことは、生涯ないでしょう」
 眉尻を下げながら、ムツミは目映いばかりに輝く花嫁衣装に視線を移した。時成は何も答えない。
「もし、お許し頂けるならば……こちらは、リノの夫に託したいと思います」
「リノの夫?」
 思わぬ申し出に、目を瞬かせる時成。実章も同じ心持ちだ。
「その者は……?」
「彼は全てを知っています。私が話しました。その上で、私たちの選択を肯定してくれた人です」
 どこか遠い目をして語るムツミ。その瞼裏に何が映っているのか、男たちには判断できない。ただ、ムツミの言葉を待つのみである。
「彼ならば、悪いようにはしないでしょう。城主様からの心づくしの品と知れば、尚更です」
 細くかさついた手が唐櫃の蓋を撫でる。
「……分かりました。義姉上にお任せします」
 ゆっくりと頭を下げる時成に合わせ、実章も礼をする。ありがとうございます、という気持ちを込めて。顔を上げると、時成がこちらを見ていた。ふふ、と僅かに上がる口角から、何気なさを装って視線を外す。
 日はまだ高く、暑さもしばらく和らぎそうにない。いつもは待ち遠しいはずの夕暮れだったが、今日だけは時の推移に恨めしさを覚えずにはいられなさそうだ。
「ところで、義姉上。一つお願いがあるのですが――」
 
「……うわあ」
 あまり肯定的ではない感嘆がソウマの口から漏れる。絶句、と言えるだけの間を置き、のろのろとムツミに視線を送った。無言の問いかけを、ムツミは正確に読み取り応じた。
「あの方から、リノにだそうよ」
「……どうしろっていうんですか、これを」
「着られないならこれを売って、婚礼に必要な物を買って欲しいっておっしゃったんだけど、さすがに使い切れないってお断りしたわ」
「当たり前ですよ。どれだけ豪勢な宴をしろって話ですか」
 ずらした上蓋をそっと戻す。こんな砂埃の舞う民家の空気にさらしておくのはあまりに気が引ける。衣装どころか唐櫃に触るだけで手が震えていた。
「これは、あなたにお渡しします。それが一番いいだろうって、あの方も納得されて決めたことよ」
「……そう、なんですか」
 正直、ソウマの手に余る。日中にかいていたのとは違う種類の汗が背を伝う。色々なことが頭をぐるぐる渦巻くが、何とか気を落ち着かせて口を開いた。
「分かりました。……リノに代わって受け取ります」
 帰って早々にリノに畑の水やりを命じた理由はこれだったのか、とソウマは嘆息した。首に引っかけた手ぬぐいで額を拭う。
「……今のうちに俺の家に運んだ方がいいですよね。ムツミさんは、念のためにリノを見張って――」
「あ、待って。それは後でもいいから、もう一つお願いしたいことがあるの」
 腰を浮かしかけたソウマを慌ててムツミは引き留める。怪訝な顔をする彼に用件を伝えると、その顔は先ほどとは比べものにならないくらい引きつった。
 

《次》

 

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