たずねびと。番外―決別
 
 足元に伸びる影はだいぶ長くなっていたが、その道に入った途端に散り散りに変化した。いや、道と呼ぶにはややためらわれるものがある。生い茂った草や所々に生える木々に邪魔されながら、ソウマは西日を背負いつつ言われた場所を目指した。
 しばらく進むと、微かな話し声が聞こえた。途端に心臓の鼓動が早くなる。一瞬立ち止まり、少し呼吸を整えてから足を踏み出すと、急に視界が開けた。
「――お」
 振り向いた二人のうち、色白な方が声を発した。彼は木の根元に腰を下ろしており、もう一人はその近くに控えるようにしゃがんでいる。
「お待たせして申し訳ございません。……リノの夫になる、ソウマと申します」
 ぺこりと頭を下げ、気持ち長めにその体勢を保つ。恐る恐る顔を上げると、色白な方が頷いた。
「太田山城主、時成である」
「家老の烏丸実章と申す」
 続けて名乗った家臣は、そのまま目を伏せた。時成も何も言おうとしないため、ソウマは及び腰ながらも気になっていたことを口にした。
「あの……もしお許し頂けるなら、なんですが」
「どうした」
「まず、そちらにお参りしてもいいですか……? お――私、ここに来たの、初めてなんです」
 そう言ってソウマが見やったのは、時成の奥に据えられた人頭大の石だった。十年前に密かに葬られた、カンジロウの墓。
 時成はそれを聞くと無言で促した。進み出て、跪くように腰を下ろしたソウマは、しばし黙祷した。長いこと閉じられていた瞼が開かれたのを確認し、時成が問いかける。
「今日は、其方の両親の墓参りだったと聞いたが」
「……はい。リノと一緒に、結婚の報告をしてきました」
「いつ身罷った?」
「前の大地震の折に、二人とも」
 ああ、と時成は頷いた。実章は脳内で指折り数える。そして気づいた。この少年も、リノとそう変わらない年頃で親を喪っていることに。
「両親の墓参りには、よく行くか?」
 次の質問は予想外だったようだ。考えあぐねるような沈黙のあと、歯切れの悪い返しをする。
「正直……頻繁ではないです。あの町にはあまりいい思い出がないので、行きづらくて」
 時成からの返答はなかった。黙ってソウマをじっと見据えている。まるで品定めをされているような視線に晒され、さぞ居心地が悪いことだろう、と実章は内心ハラハラした。
 時成とて、両親との仲は良好ではなかったし、二人ともが彼岸の人となった今でも気持ちに変化は見られない。従って先ほどのソウマの返答が時成の心証を害したとは考えがたいのだが、目の前の少年はそのようなことまで分かるまい。
「あの、ソウマ殿」
「其方は黙っておれ」
「いいえ言わせて頂きます。御屋形様、何ゆえ左様な態度を取られるのですか。気の毒でしょう彼が」
 え、とソウマが実章を見た。はあ、と時成は鬱陶しそうに溜息をついた。
「勘違いをするな。別に、威圧するつもりで黙っていたわけではない。……兄上ならば、斯様なときに何と言うかと考えていたのだ」
 ふて腐れたように続ける。
「……忌々しいことに、穏やかで優しい言葉しか思い浮かばぬわ」
 忌々しい、という表現にぎょっと目を瞠ったソウマ。時成は彼の隣にしゃがみ込むと、思いっきりねめつけた。
「其方、あの花嫁衣装を見たか?」
「……はい」
「素晴らしい品であろう。何せ、この私が何度も買い付けに出向いて見繕った装束だからな」
 実章は頭痛がする、とばかりに頭を押さえる。その様子から察するにどうも事実らしい。
「どうだ、其方、あの衣装をまとったリノを見てみたいと思わんか?」
 企み顔で顔を寄せてくる時成。ソウマは反射的に上体を引き、時成から一定の距離を保つ。ゴクリと喉が鳴った。
「……リノには身に余りましょう」
「何を言う。リノは前の太田山城主の孫娘に当たる血筋ぞ?」
「あ、あいつはただの村娘です。でなければ、俺みたいな庶民に嫁ぐはずがありません」
 頬を引きつらせながら反論する。及び腰ではあったが、視線は決して時成から逸らすことはしなかった。
「……違いないな」
 フッと時成は笑みを浮かべる。だが、残念ながら引き下がるつもりは毛頭ないらしい。ぐっとソウマの顔を覗き込む。
「それはそれとして、美しく着飾った新妻を一目見たくはないか? あの娘はなかなか愛らしい顔立ちをしておるし、きっと見違えるぞ」
「……はあ」
 どちらとも取れるような返しで受け流すソウマ。それから、ん? と何かに気づく。
「……それで、その姿を遠くからでも拝ませろとおっしゃるんですか?」
「察しが良いな」
「お・や・か・た・さ・ま」
 半目になった実章が割り込んでくる。苦虫を何匹も噛み潰したような顔だ。
「いい加減にして下さい。ムツミ殿がこの若者と引き合わせて下さったのは、何もねちねちいびらせるためではないでしょう」
「ねちねちとは人聞きの悪い」
「その人聞きの悪い振る舞いをされているのは御屋形様にございます!」
 だんだん苛々してきたらしく、実章の口調が早口になる。ソウマはどういう顔をしていればいいのか分からず、困惑したまま時成と実章を交互にうかがった。
 分かった分かった、と時成はおざなりに実章をあしらう。それから、真面目な表情でソウマに向き直った。
「ソウマとやら。――其方にリノが守れるか?」
 突然鋭い眼差しに射貫かれ、ソウマの肩が震える。
「リノだけではない。これから生まれる子どもや、孫たちも。家族を、守り抜く自信はあるか?」
 時成は淡々と問いかける。静かに、ただソウマだけを見つめている。
 ソウマはすぐには答えなかった。ザ……と夕刻の風が、彼らの間をすり抜けていく。
「……自信は、分かりません」
 時成の眉が寄った。明らかに不満そうな反応に、だって、とソウマは言い繕った。
「守りたいですよ。当たり前じゃないですか。でも、やり遂げられるかは別の話です。……俺の父さんだって、母さんだって、――カンジロウさんだって、守りたかったに決まってる」
 ぴくりと時成が反応する。しばらく無言だったが、ややあって、視線を落としたままのソウマの頭を軽く小突いた。
「生きて傍にいることだけが守る方法でもあるまい」
 ソウマは顔を上げた。時成はそっぽを向き、どこか遠くを見ている。それから、懐に手を入れ、折りたたまれた紙を取り出した。ずい、とソウマに突きつける。
「!?」
「もし、どうしてもというときには、太田山の城に参れ。その書状を見せればすぐにでも取り次いでくれよう」
 目を白黒させながらも、ソウマはそれを受け取った。開くと、濃い墨で何事かが書かれている。残念ながら、ソウマにそれを読むだけの知識はなかったが。
 彼がおずおずと頷くのを確認し、時成は挑戦的な笑みを浮かべる。
「場合によっては、そのときは其方からリノたちを引きはがすかも知れんがな」
「……ははは」
 ソウマは乾いた笑いで応じる。思わず、ぐしゃりと手の中の書状を握り潰し、それから慌てて懐に仕舞う。
 ふふん、と時成は満足げに笑い、それから背後の実章を振り返った。
「帰るぞ」
 実章はどこかホッとしたようだった。傍らの荷物を担ぎ上げ、ソウマに軽く一礼する。時成は既に背を向けて歩き始めていた。
「あの!」
 その背中に、ソウマの呼び声が響く。時成はゆっくりと振り向いた。
「……どうか、お元気で」
 ありふれた別れの言葉。それにしては、ソウマの表情は妙に強張っていた。そして、その意味を、時成も実章も知っている。
「当たり前じゃ」
 だから、時成はそう返した。どこか不敵な笑みで。
 

《次》

 

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